以下の記事は、2013年3月頃の回想録です。
メイとの同棲生活を決めた僕は、すぐさまホテルから荷物を移動しました。
当時、1ヵ月契約で借りたウドムスックのホテルには、まだ1週間以上の滞在可能日数が残っていたのですが、そんなことはお構いなしでしたね。
元々、退職後のタイ旅行は2か月間という期限付きで来ていたということもあり、僕に残された滞在日数もこの時点で約3週間程度・・・ 。
それゆえ、出来るだけ多くの時間をメイと過ごすため、引越しを急いだのです。
同棲開始初日には、メイからサプライズがありました。
なんと暑さで僕が寝られない事を心配して、メイがアパートの部屋に極秘でエアコンを設置してくれていたのです。
同棲する前、エアコンは高いので今は買う予定が無いと言っていたのに・・・ 。
多分、自分のために無理をして買ってくれたのでしょう。
もちろん、僕はメイの気持ちがとても嬉しかったのですが、それと同時にエアコンを買うために使ったお金の出所の事を思うと複雑な心境でしたね。
もし自分が日本で立派な仕事でも持っている人間であったならば、メイのアパートのエアコンが無いと知った時点で、それを買ってやることなど造作も無いことなんだろうと考えると、とてもやるせない気持ちにもなりました。
けれども実際問題、現状無職の人間がエアコンを気軽に買ってやることなど不可能であることは一目瞭然でした。
それにエアコンの無いタイ人向けローカルアパートで、暑さに耐性の無い日本人の僕が住むことが事実上困難だということを考えると、ここはメイが買ってくれたエアコンに対して素直に感謝を示し、有難く使わせて貰うしか今は方法がないのだと悟り、それ以上深く自分の情けなさについて思い詰めることはやめにしたのです。
かくして、メイとの同棲生活は、始めの数日間こそ順調に過ぎていきました。
メイも始めのうちは気を使ってくれて色々世話を焼いてくれたので、僕もほとんど困ることがなかったんですよね。
おかげで、ローカルエリアであるにもかかわらず何不自由ない生活を送っていました。
しかし、そこはタイ人女性のこと。
3日もしないうちにその状況は変わっていくことになるのです・・・。
それと言うのも、メイが段々と僕とばかり居ることに疲れてしまったようで、昼間の間、よく部屋を空けるようになってしまったんですね。
メイの行き先はズバリ、同じアパートに住んでいるゴーゴー仲間の友人のところでした。
僕との生活で溜まったストレスによって、彼女が友人のところへと避難する回数は日を追うごとに増していったのです。
メイと僕の間に鬱積したストレスの一番の要因、それはまさしく言葉の壁でした。
というのも、これまでメイと僕はすべての会話を「なんちゃって英語」に頼っていたからなのです。
しかし、当然ながら僕もメイも英語をまともに話せるわけではないため、次第にボキャブラリーや文法の面で限界が出てきます。
同棲前であれば、このなんちゃって英語でも僕らはお互いなんとなく誤魔化しながらコミュニケーションを取ることが出来ていました。
けれども、これが一緒に暮らすとなると、そういう訳にはいかなくなってくるんですよね。
何しろ、朝から晩まで一緒に居るわけですから、今までとは違い、多種多様なシチュエーションの中でお互いの意思を会話でやり取りしなければいけなくなるわけです。
正直言って、お互い適当な英語しか話せない中で、この状況に対応することは至難の業です。
お互い伝えたいことが上手く伝わらないとわかると、フラストレーションは溜まる一方なわけで、メイが友達のところに逃げたくなる気持ちもよくわかりました。
ですが逆に言うと、発散できる相手がいるメイの状況はまだマシだったんじゃないでしょうか。
彼女が僕との意思疎通に疲れて部屋を飛び出してしまった後、いつもその場に僕は取り残されました。
しかもそういう場合は決まって、メイは夜の出勤時刻までずっと友達のところで過ごしてきます。
そうなると、僕はメイを待っている間、ずっと一人、アパートの中で塞ぎ込むわけなんです。
もちろん、出来る事なら自分も誰か友人のもとへ飛び出して、自分の鬱憤を晴らしたかったです。
しかし、周りはローカルタイ人の集まるエリアであって、日本語は愚か、英語ですらほとんどの人に通じません。
まあ、外に出ていったとしてもタイ人の友人なんて皆無でしたから、とにかく悩みを聞いてくれる人なんて一人もいなかったんですけどね。
自分の辛い時に、誰も助けてくれる友人がいない状況。
日本に居た頃から友人がほとんどいなかった僕にとっては何も珍しいことではなかったのですが、やはり精神的に凄くきつかったですね。
メイと生活をし始めて、1週間程が経過した頃、僕の塞ぎ込み具合はますます酷くなっていきます。
もはや、メイと一緒でなければ近所の屋台にて、1人で飯も買ってこれないような状況でした。
なぜなら、周辺のタイ人にタイ語で話しかけても、まるで自分のタイ語を理解してくれないんですよね。
その度に、自分のタイ語能力の無さに絶望しました。
観光地のタイ人に辛うじて通じるようなタイ語の単語も、メイのアパート周辺ではほとんど通じなかったのです。
まさしくタイ・ローカル・エリアによるアウェーの洗礼のようでした。
プラカノンの奥地に多数住むイサーン人たちのタイ語は、そもそも訛りがきついのが要因だったのです。
もはや、アパートの周りを1人で歩くことだけでも、拒絶反応を起こしてしまうような勢いでしたね。
元々、日本でも内向的だった僕は、悪いように一旦思い込んでしまうと、本当に立ち直れなかったんです。
こんなことだったので、メイが一緒に居ないときは四六時中部屋でひきこもるような生活が続きました。
しかし、そんなある日のこと、メイが僕のことをアパート1階にあるヘア・サロンへと突然誘ってきたんです。
あまりにひきこもりがちな自分を見兼ねての、彼女なりの思いやりから出た行動だったのでしょう。
それにタイに来てからというもの一度も散髪をしていなかったので、純粋に髪が伸びていたということもありましたがね。
ちなみにタイ人女性は自分のボーイフレンドの髪型に対して、異常なほど神経質です。
髪の毛がボサボサであるとか、髭が生えている姿は全力で嫌われます。
ということで、いざ、タイのヘア・サロンとやらに急遽初潜入することになったのですが・・・ 。
このサロンで、僕は思いがけず様々な夜の嬢とコミュニケーションを取る機会を得ることになったのでした。