以下の記事は、2013年3月頃についての回想録です。
メイの住むアパートの1階にあるサロン(ローカル美容室)へ、毎日のように通うこととなった自分でしたが・・・。
その頃の僕らの1日の流れを簡単に書き留めておこうと思います。
まず、毎日の起床は必ず正午過ぎからでした。
(前日の夜に遊び過ぎた場合は、夕方頃まで寝過ごすこともありました。)
そして、お互い起きた後は、近所の屋台で辛い辛いイサーン料理を調達し、そのままアパート1階のサロンへ。
中に入ると、だいたい近所に住むメイと同業の女性たちが同じように集まってきているので、皆と共に昼食をとりました。
で、昼食後、彼女たちは友人同士での雑談を始めます。
その間、僕は特にやることも無いので、ひたすらその話に耳を傾けます。
もちろんタイ語は分からなかったのですが、時々、僕が会話に入ってこれるよう、皆が気を使ってくれて英語や日本語を使ってくれたりもしていましたし、何より雰囲気で理解できる内容もありましたからね。
こうして、だいたい16時頃までいつもこの雑談タイムが続きました。
考えてみると、昼間にどこかへ遠出するなんてことは滅多にありませんでした。
やはり、バンコクに住むローカルのタイ人に溶け込んだ生活をしていると、普段何もイベント事がないなんてことは至極当然の事なんです。
しかも、それが夜の世界の人間たちの事であれば尚更なわけであって、彼女たちと居ると、昼間にどこかへ出かけるなんてことは本当に稀でした。
そもそも、タイ人女性と言うのは、歩くことを極端に嫌がります。
それから、日焼けすることを避けるために、日照りも嫌います。
だから、基本的に太陽が出ている間は、外に出たがらないんです。
まあ、例外として彼女らが昼間から出かけ得るとすれば、お寺にタンブンをするために外出する時ぐらいでした。
話を戻しますが、17時頃になるとメイたちは各々自分たちの部屋へ一旦戻り、出勤の準備に入ります。
ですからよく考えると、彼女たちって、ほとんど自分の部屋で過ごすことが無かったんです。
光熱費とか節約する意味ではよかったのですが・・・。
まあ、こうして部屋にてシャワーを浴び、化粧なり衣装合わせを終えた後は、また1階のサロンへ戻るわけです。
で、ここで初めて、サロンにお金を落とすんですね。
1回あたりの美容院代は、だいたい120バーツぐらい。
昼間に一般の会社で働いているようなタイ人では、毎日髪の毛にここまでのお金は絶対にかけられません。
つまり、これぞ夜の仕事を持つ人間の特権ですね。
髪の毛が整い終わるのは、おおよそ19時過ぎ。
だいたい、どこのゴーゴーも20時までにはお店に入っていなければいけないので、ほとんどの人はモタサイ(バイクタクシー)で出勤していました。
このモタサイのコストも意外と高くて、プラカノンにあるメイのアパートからソイ・カウボーイまで1回、100バーツでした。
こうして見てみると、お店に出るだけでも結構な出費をしているもんなんですよね。
まあ裏を返せば、この自己負担分を取り戻すためにも、彼女たちは毎日一生懸命、当日の売り上げを稼がなければならないってことなんです。
で、仕事は毎日、20時~深夜3時ぐらいまで。
メイの勤める「バカラ」は当時かなり遅くまでやっていましたね。
ちなみに彼女の場合、連れ出される事の無いまま閉店時間まで勤務してくるってことは、あまりありませんでした。
まあ、当時のメイは少なくとも、ある程度の人気があったってことは確かなのでしょう。
しかしながら、僕と付き合い始めた頃からか、メイの人気にも徐々に陰りが見え始めていました。
もしかしたら、僕と付き合い始めたことによって、どこか仕事に消極的になってしまっていたのかもしれません。
いずれにしても、自分の彼女に人気があることを喜ばしく思ったことは一度もありませんでしたがね。
そんな当時の半同棲生活の中、僕とメイが唯一同じ時間を共有出来ていたのが、まさにアパート1階にある美容室での一時だったのです。
無論、そこでは僕とメイが2人っきりになれるわけではなく、様々な経歴を持った女性達が集まって来て、お互いの身の上話を繰り広げていたのです。
それでも、タイ旅行中の自分には他に人との接点がほとんどなかったため、そんな彼女らの会話に耳を傾ける事ぐらいしか楽しみが無かったわけです。
会話の内容は、それこそ様々でした。
仕事を始めた理由や、付き合っている男性の事、それから仕事の内容などについてですね。
例えば、仕事を始めた理由であれば・・・。
やはり一番多かったのは、田舎に家族がいて、それでバンコクで出稼ぎをしていると言うケースでした。
田舎に借金があったり、色々問題のある親や兄弟を抱えていると言った人は多かったですね。
しかし一方では、ただ単に自分が贅沢な暮らしを送りたいがため、夜の世界に身を置いていると言ったパターンもありましたが・・・。
後は、数年前に日本人と結婚し、日本で長年暮らしていたのにもかかわらず、向こうで借金を作ってしまったがために、タイに舞い戻ってきて、借金返済のためにひたすらスクンビットのカラオケ屋に勤めているといった、30代後半の嬢なんかもいましたっけね。
自分の彼氏の悩みを話す人も多かったです。
タイ人男性と付き合っているものの、女性側の収入をあてにして全く働きに出ない彼氏に悩んでいると言うケース。
客とのメールの内容等をタイ人彼氏に見られてしまい、それが原因でいつも彼氏との喧嘩が絶えないと言う人も・・・。
それから、客として知り合ったイケメン外国人と付き合っていたつもりが、実はその外国人男性に散々遊ばれてしまっていたと言うパターンもありました。
その女性は好きになった外国人客に対して、いつも入れあげる癖があったようで、金目の物をよく相手に買い与えていたようでしたね。
あと、仕事関連の話で特に多かったのは、どうすればより多くの日本人からお金を得られるのかと言う話題。
カラオケで働く女性などは、昼間美容室に居る間に、日本人の客といつもLINEで連絡を取り合っていたのですが、複数の客と時間差で電話しているような光景を間近で何度も見ていると、とてもじゃないですが、その日本人の人たちが憐れに思えてしまって仕方なかったです。
けれども・・・。
それは何もカラオケ嬢に限ったことではなく、ゴーゴー嬢も同じでした。
彼女たちは、それこそサロンなどのコミュニティーを通じて、カラオケに勤める言わば業界の先輩たちから、日本人が如何に簡単に手玉にとれて、楽にあしらえる相手であるかという事を毎日のように聞かされるわけなんです。
加えて、簡単な日本語なんかもその場で訓練されるんですね。
こうした環境に居続けることによって、若い女性たちも、どんどん日本人に対して独自の営業技術を身に着けていくわけです。
こうなってくると、もう手に負えませんよね。
まあ、そうは言っても当時の僕にとってはメイの友達たちといることぐらいしか楽しみが無かったものですから、極力、そう言ったことに対して口出しするような野暮な事はせず、彼女たちとの時間を楽しんでいたわけです。
でまあ、そうこうしながらも、時は過ぎ去り・・・。
とうとう、僕のタイ滞在日数の残りが1週間を切るところまで迫ってくることとなるんです。
そこで、僕は急に我に返るのでした・・・。
「このまま日本に帰ったとして、いったいこの先、自分に何が残るのか?」と。