以下の記事は、2013年3月頃の回想録です。
タイでの観光滞在も残すところ後1週間程度となった頃、僕は日本に帰った後のことを徐々に考え始めるようになっていました。
当初の予定では約2か月間の東南アジア周遊旅行をしていく中で自分と思いっきり向き合い、旅の中で人間力なるものを磨いてから日本に帰国、その後再び社会人として立派にカムバックすることを夢見ていたのでしたが・・・。
現実の旅は全くの別物となってしまっていたんです。
そもそも、東南アジア周遊をするつもりが、ゴーゴーバーでうつつを抜かしてしまったことにより、2か月オール・バンコク滞在へとあっさり予定変更してしまうありさまに。
そのバンコクでの滞在内容についても、とても中身を自慢できるようなものとはなっていませんでした。
半同棲生活が始まってからは特に、彼女が食事の準備だとか洗濯などをほとんどやってくれていたものだから、安宿で暮らすようなバックパッカー型滞在よりも、よっぽど居心地は良かったんです。
そんなもんだから、一人でどこかに買い物へ行ったという記憶もほとんどありませんでした。
確かに退屈なこともありましたが、これでより完全に旅人的感覚を捨ててしまった自分がいたのです。
この頃には、海外旅行をしているというような感覚もほとんど忘れ去っていました。
こんなことなら、退職後すぐに就職活動を行っていたほうがよっぽどマシだったかもと帰国間近になって後悔するも、時すでに遅し・・・。
帰った後のことを考えると、憂鬱な気分になるばかりでした。
まあ最も、帰国間際になってから就職の事を考え始めている時点でもう終わっていたのですが。
生活リズムの修整は、もはや不可能。
けれどもメイと過ごすようになってから、僕の中で少しだけ心に変化が起きていたのも事実だったんです。
もし、日本に帰ってから上手く就職出来て、毎月それなりの給料が貰えるようになれば、彼女を何かしらの形で支えられるかもしれない。
例えば仕事を持って、自分が生活費をギリギリまで抑えたとしたら、残った給料を全て送金してあげたって良いとまで考えたりもしていました。
もちろん、いまだ絵に描いた餅であることには違いないのですが、僕が帰国して普段一緒に居られないようになったとしても、色んな方法でメイを支えることが出来るのではないかと、無理やり希望を持つようにもしていたんです。
まあ、こんな微妙な心境の中、僕は残り少ない時間を過ごしていたのですが・・・。
やはり、急に生活リズムを改めることは出来ませんでした。
何しろ、ゴーゴー嬢として働くメイとの暮らし振りは、それまでの僕の生活スタイルと余りにもかけ離れていたんです。
昼夜逆転生活なんていうのは、当たり前。
外食に行った時なんかは、とにかく食べたい物を食べる。
またメイの仕事終わりには、決まってどこかに出かけることが習慣化していました。
はっきり言って、日本で培った僕のライフスタイルや金銭感覚なんていうのは完全に崩壊しようとしていたのです。
僕はこの時の旅行費用として約30万円の現金を持ってきていたのですが、帰国日1週間前を迎える頃には、そのほとんどを使い果たしてしまっていました。
これ以外にもクレジットカードに手を出していたので、実際に使った額はそれ以上でした。
まあ、この頃には僕があまりお金を持ってきていない事も周知の事実だったので、遊びに行った際などには彼女も負担してくれるようにはなっていたんですが。
とは言っても・・・。
飽くまで僕は無職であることをこの時はまだ隠していました。
流石に仕事が無いなんて言う勇気はありませんでしたから。
その時はまだ、メイの本心を計りかねていた自分が居たんです。
とにかくも、このような世間ずれした生活の存在を知ってしまった事は、僕にとって最も不運な出来事だったんです。
だって、仕事をしていなくても、こんなに温かい気候の中で、食べ物にも困ることなく、ぬくぬくと生きていけることを知ってしまったら、誰だってそこから抜け出したくなくなりますよ。
タイに沈没していく日本人が多い理由もなるほどと、合点がいきました。
もうその頃の自分と言ったら、外国人旅行者であるにもかかわらず、そこら辺に居る底辺の輩と大して変わらなかったですから。
知っている人間と言えば、全てゴーゴー嬢か、その女性らに付きまとうようなタイ人男たち。
こんなレベルの人達と、毎日のように遊び呆けていたのです。
お陰で昼間に働いているような普通のタイ人とは、ほとんど触れ合う機会がありませんでした。
せっかく自由に旅行の出来る身分であったはずなのに、たった2か月の間でここまで落ちぶれてしまおうとは・・・。
異国の地にまで来て、何を好き好んでこんな最下層の人達と付き合っているのかと自分でも感じていたのは確かでした。
で、日本への帰国が近づくにつれ、こんなぐうたら生活にもより磨きがかかってくるわけなんです。
とにかく、メイが仕事をしている時間帯には、いつも自分のように暇を持て余したタイ人男たちと共に出かけていました。
彼らは僕と同様に金を持っておらず、ただひたすら彼女の帰りを待つような日々を送っていたのです。
そんな中で、時には帰りが朝になってしまい、メイにアパートの鍵を閉められてしまったことなんかもありましたっけ。
でも彼らとの出来事で一番印象に残っているのは、プラカノンの飲み屋で夜中まで遊んでいた時のこと。
ある日、僕がグデングデンに酔っぱらってしまい、道端で寝落ちしてしまった時でした。
なんと誰一人として起こしてくれず、1時間以上も歩道に放置されたんです。
無論、それを最後に僕も彼らと居ることをやめたのですが、あの時はかなり失望しましたね。
こんな薄情な人らと、自分は一緒にいたのかって。
と言う訳で、まあ、相当荒んだ海外生活を送っていた僕だったのですが・・・。
残す滞在日数も3日程となった日のことでした。
メイの友達が、僕の帰国前に皆で最後に遊ぼうって言ってくれたことをきっかけに、大勢のゴーゴー嬢たちを引き連れて、イサーン・タワンデーン(タイ人向けのローカル・ディスコ)へ行くことになったんです。
その時は、滞在中最後の集まりになると思って、僕もかなり張り切っていたんです。
何しろ、普段忙しいゴーゴー嬢たちが、僕のために時間を割いて来てくれたのですから。
(本当のところは、僕のことなど皆が集まる口実に過ぎなかったのですが・・・それでもいいんです!)
ほんと、メイの人望には感謝!って感じでした。
こうしていざ、タワンデーンへ意気揚々と向かう僕らだったのですが ・・・。
なんとこのあと、バンコク滞在中、最大のピンチが自分の身に降りかかろうとしていたのです!!