以下の記事は、2013年3月頃の回想録です。
僕のお別れパーティーの会場となったお店は、スクンビットからだいぶ離れた所にありました。
名前は失念してしまったのですが、パタナカン通りにあるようなイサーン・タワンデーンと同系列の完全ローカル向けのお店だったと思います。
イサーン・タワンデーンというのは、特にイサーン地方などの田舎からバンコクに出てきている若者たちが利用する、ルークトゥン・モーラムといった伝統音楽をベースにしたショーを連日開催しているエンターテイメント・レストランのことです。
店内には椅子とテーブルが置いてあり、お客さんはショーやバンド演奏を楽しみながら食事をしたり、またはディスコのように踊って楽しむことも出来ます。
特にゴーゴー嬢の子なんかは欧米風のクラブよりも、このようなイサーン・スタイルの音楽が流れたお店に連れていった場合の方が何倍もテンションが上がりますね。
僕もメイと遊ぶようになってからというもの、このイサーン・タワンデーンにはよく顔を出していたのですが、始めの頃はなかなか店内の雰囲気に馴染めなかったことを覚えています。
なぜなら、店内で流れている音楽ははっきり言って今まで聞いたこともないようなタイの音楽でしたし、それに周りで踊っている人達のほとんどがコテコテのイサーン出身・タイ人達でしたから、外国人の自分は必然的に浮いてしまっていたんです。
特にイサーン人男性が大勢店の前に屯しているような光景を見たりしていると、かなり近寄りがたい雰囲気も感じました。
けれどもイサーン・タワンデーンに来てみて、喜ばしいこともあったんですね。
それはいわゆる、バンコクの夜の世界にいる女性達が毎晩、大量に店に押し寄せてくるということ。
例えばゴーゴー嬢たちなんかも、欧米スタイルのお店が好きか、イサーン・スタイルのお店が好きかで意見が別れるところのようなのですが、素朴な性格の嬢だったり、田舎から出てきたばかりのような子っていうのは大抵、仕事終わりにイサーン・スタイルの店に行って遊ぼうって話になるんですよね。
つまり、イサーン・タワンデーンに行けば、そういった可愛い嬢たちと店を介さず自然な形でいくらでも知り合えるってわけなんです。
もっとも、僕はメイを連れだって遊んでいたことがほとんどだったので、あまりナンパのチャンスはありませんでしたが、それでも何回かは彼女の隙を見て、美人なゴーゴー嬢の連絡先をゲットすることに成功したこともありました。
お金も無くて、ゴーゴーバーへ満足に行くことも出来なくなっていたような自分にとっては、まさに天国だったってわけです。
まあ、このようにイサーン・タワンデーンにも色々と個人的思い出はあったのですが・・・。
何しろ、このお別れ会の時は日本への帰国を3日後に控えていましたから。
いつも以上に皆で盛り上がっていたことは言うまでもありませんでした。
メンバーは僕とメイ、それに彼女の友達のゴーゴー嬢が5・6人は居たと思います。
男1人に対してこの嬢の数でしたから、とにかく傍から見てもかなりアンバランスだったのでしょう。
それに言わずもがな、夜の女の子たちの出で立ちってのは昼の子なんかに比べると一発で区別がついてしまうぐらい派手で目立ちますから。
自然と、周りのタイ人男性達の視線を釘づけにしていたのです。
まあ、このことが、後々大きなトラブルの発端となってしまったのでした・・・。
暫く皆で盛り上がっていると、次第に付近の席にいる男性たちが、僕の席の周りに集まってくるようになります。
まさしく、僕の連れの子たちを狙っていたわけですね。
まあ、僕としては別に彼女らを独り占めしようなんて気もなかったので、寄ってきて一緒に踊る分には何も目くじらは立てなかったのでが、段々と男たちの圧が強くなっていくんですね。
はっきり言って、場末のタワンデーンにたむろしているようなイサーン男ってのは、色黒で老け顔でとにかく普段から若くて色の白い女性たちに飢えていたのでしょう。
次第に僕の静止を振り切って、メイにまで接近してきたんです。
と、その時でした。
何を思ったか、僕は思わず相手の胸ぐらを掴んでしまったのです・・・。
なんていうか、僕もぐでんぐでんに酔っぱらってしまっており、彼女にちょっかいを出されたことに対してとっさに出てしまった行動だったのです。
この頃は、自分もすっかりそこら辺にいる底辺の輩と同じような思考回路の下で日々を暮していましたからね。
とにかくカッとなりやすかったのです。
で、案の定、周りにいたタイ人たちが一斉にその男側に加勢してきて、僕は抵抗を試みるも一瞬のうちにボコボコにされました。
加えて、尚も僕が抵抗しようとしたものだから、僕はその後店の外に放り出されます。
その時、店の前は物凄い人だかりになっていました。
なんだかその時、とても強い恐怖を覚えました。
だって散々店内で打ちのめされた挙句、外に放り出されると今度は店のボディーガードやお店スタッフ、野次馬たちに囲われて、皆の見世物のようになっていたのですから。
この時、僕は彼らの本当の感情を今さらながら思い知ったのです。
彼らイサーンの男性たちからしてみたら、自分たちの故郷の女性たちを、金の力でもって侍らせているような外国人のことがどうしようも無く憎かったのでしょう。
もちろん、そんな感情を普段は表に出すことはないと思います。
しかしこの時のように、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐに普段の鬱憤を晴らそうと、彼らは大挙して押し寄せてくるのだということを身をもって知ることとなったのでした。
僕はボディーガードにがんじがらめにされながら、「自分に手を出した人間を捕まえろ!」と日本語でわめき散らしていました。
その間、僕の連れのゴーゴー嬢たちは泣きながら立ち尽くすのみ。
メイも泣き崩れて僕を見つめていました。
暫くしてポリスが来たのですが、ここでまた不可解なことが起きます。
なぜかポリスたちは手を出した男たちには一切触れずに、僕一人だけを警察署へ連行していこうとするんです。
無論、僕は全力で拒否しようとします。
連れの子たちも事情を説明してくれるのですが、話を聞いてくれる気配は無し。
このままでは、帰国3日前にタイのポリスに連れて行かれるというとんでもない事態になってしまうと焦りました。
で、こんな状況の中、僕は必至に考えました。
何か状況を打開する方法はないだろうかと。
その時でした。
ある人の顔が、ふと頭に浮かんだのです。
それは、メイの働くゴーゴーバーに君臨する、あの一緒にパタヤ旅行にも行ったママさん(チュリーママ)のことでした。
実はパタヤへ旅行に行った際、ママさんにこんなことを言われた記憶があったのです。
「バンコク滞在中に何か困ったことがあったら、いつでも私に言いなさい!」と。
はっきり言って、メイと同棲生活まで始めていたような状況の中で、ママさんとの交信をこれまで断絶しておきながら、今更ママさんに連絡を取ることなど、自分にとって相当虫のいい話であるということは百も承知でした。
それに第一、この期に及んでママさんに頼るなど、メイにも申し訳ない話でしたし・・・。
しかし、一刻を争うこの状況で、背に腹は代えられなかったのです。
僕はすぐさまママさんに連絡を取り、助けを求めることを選んだのでした。