タイ自分史リターンズ

【自分史第19話】タイ人とケンカ沙汰を起こした日本人が大ピンチに陥ったその後 

2018年4月8日

以下の記事は、2013年3月頃の回想録です。

 

運が良かったのか、夜中遅い時間帯の電話にもかかわらず、ママさんはすぐに僕の電話に出てくれました。

そして、僕は拙い英語で頻りにこう言ったんです。

「Mama san, help me ~~!!!」ってな感じで。

 

もう、この時は自分の声も半べそ状態だったもんで、向こうもすぐに事の重大さを把握してくれたようだったのです。

電話を受けたママさんはその後なんとなく状況を察知したようで、電話を近くにいるポリスに渡すように行ってきます。

僕はなんだか意味もよくわかりませんでしたが、自分を押さえつけているポリス相手に携帯電話をとにかく渡したんです。

 

すると・・・数十秒の会話の後、彼は急に僕を解放したんです。

そして、このまま待つようにと言われました。

ちなみにこの間、メイたちの友達の何人かは既に帰ってしまっていました。

どうやら僕がママさんに電話をしたことが原因だったようで、何かを察知して居なくなってしまったのです。

肝心のメイに関しては、相変わらず親友のゴーゴー嬢と事の成り行きを静かに伺っているというような状況でした。

本当の事をいうと、もう少しタイ語などを通してサポートして欲しかったのですが、彼女もだいぶ気が動転していてそれどころでは無かったのかもしれません。

 

その後、待つこと数十分。

見覚えのある黒塗りのホンダ・アコードが騒ぎの起こっていた現場の前に横付けされます。

電話した際に店の住所を聞き出して、駆けつけてくれたのです。

ママさんは、ゴーゴーバーのセキュリティ・スタッフも2人程引き連れていました。

ちなみに、連れてきた男たちというのはかなり大柄で、2人ともムエタイ選手だった人達なのです。

この人達が車から出た瞬間、周りに詰めていた人間たちが少しずつ後ずさりしていきました。

言葉は悪いですが、「ざまあみろっ!」て気分でしたね。

ママさんは着いて早々、僕に大丈夫かと声を掛けてくれます。

僕も知った人が助けに来てくれたことで、一気に力が抜ける思いでした。

ママさんはそれと同時に、どこかに電話をかけ始めました。

後日わかったことだったのですが、電話の相手は僕が騒動を巻き起こした周辺を管轄しているポリスのトップだったんです。

電話が繋がると、それをすぐに居合わせている警官に預けます。

すると、一瞬のうちに彼らは引いて行ってしまったんです。

内心とても驚きました。

これがコネクションを大事にするタイ社会の真実なのかと。

 

当然のことながら、バンコクにあるゴーゴーバーの経営者というのは、毎月滞りのない営業活動をするために多額のお金を管轄する地元のポリスに支払っています。

けれども、「バカラ」をはじめ、ソイ・カウボーイにあるお店のオーナーというのは白人の人達が多いので、もちろん彼ら外国人オーナーが直接折衝事に関わるということはほとんどあり得ません。

必ずと言っていいほど、雇われのタイ人ママさん達が間に入って直接的な管理業務を行うということになってくるわけです。

ですからお店のママさんたちっていうのは、必然的にポリスの人達と普段から親密になるチャンスが生まれるというわけなんですね。

で、普段はお店が何かトラブルに見舞われた時なんかに、色々な便宜を図って貰えるということになっているのですが・・・ 。

実は今回のように、個人的なお願いをした場合にも、ポリスが動いてくれることが多々あるわけなんです。

もちろん、後日ママさんは僕を助けるために口利きしてくれた幹部やトップの人に、いくらかの御礼をしたことは間違いないでしょうがね。

ゴーゴーバーの規模にもよりますが、月々の賄賂の額は数十万バーツに昇ると言います。

まあ、お金の他にも、たまにはゴーゴーバーの中で接待をしたりと、かなり気を使っているようです。

しかし、いざという時に頼りになる存在であることに変わりはないということです。

 

話は戻りますが、こうして駆けつけてくれたママさんは、騒ぎの発端となったお店のオーナーさんともすぐに話をつけてくれました。

オーナーさんがタイ人だったということもあってか、思った以上にすんなりと事は収まったようでしたね。

集まっていた野次馬の連中もこれにより皆散り散りとなって、ようやく僕の気持ちも本格的に落ち着いてきました。

「これでやっと帰れる・・・良かった・・・」と安堵したわけです・・・が!

 

ここで、事態は予想外の方向へと進んでいってしまいます。

なんと、ママさんが僕の彼女であるメイを急に責め立てだしたのです。

ママさんの言い分はこうでした。

「どうしてこんな柄の悪いタイ人が多く集まってくるようなところに、外国人のお客さんを連れてきたのか!」

「あんたのお客さんに対するケアは全くなってない!」と。

まあ、ママさんも僕とメイが付き合っていることは知っていたのですが、あえて僕がお客さんであるという表現を使ってメイの責任を追及したのでしょう。

この思わぬ状況に、メイは当然困惑するばかり。

そして、とうとう彼女は僕を置いて友達と逃げ出してしまったのです。

本来ならばここで僕もメイを庇うべきだったのでしょうが、この時、なぜか自分もメイに対して少しだけ苛立ちを覚えていたんですよね。

その原因は、この騒動の際の彼女の対応にありました。

様子を見て立ちすくむか、泣いているばかりで何一つサポートをしてくれなかった彼女・・・。

確かに、僕のまいた種によって今回の事態は巻き起こったのかもしれなかったですが、それでも僕は彼女を守ろうとしてやったことだったのに・・・。

独りよがりな思いかもしれませんが、その時は無性に悲しかったんです。

そんな思いもあって、事件のあったこの日は、取りあえず彼女のアパートに帰ることをやめて、僕はママさんたちと共に、スクンビット・ソイ23にある深夜営業のレストラン「ラブシーン」にて時間を潰すことにしました。

 

明るいレストランの中に入って、初めて自分のダメージの程度を知ったんです。

唇が完全に切れていて、着ていた服は真っ赤に染まっていました。

ママさんはそんな僕の状況を心配して、帰国までの間、自分のコンドミニアムに泊まらないかと提案してくれました。

僕も少し悩みましたが、さすがにこんな形でメイと別れたくはないと思い、自分のホテルに戻ると嘘をついてママさんとは別れることにしたんです。

あんな夜中に呼び出して、しかもママさんのコネクションを使って助けておいてもらいながら、最後の最後に嘘をついて離れることを選んだ自分。

今考えると、相当自分勝手で調子のいいことをしていたんだなと呆れてしまいます。

けれど、この時はとにかくメイのことしか頭に無くて、ママさんのことは便利な道具ぐらいにしか思っていなかったんです。

 

かくして、急いで彼女の下に帰った自分は、すぐさまメイに全ての事情を話して理解を求めました。

なぜ、今朝になるまで帰ってこなかったのか?

なぜ、あの騒動の渦中で、ママさんを呼ぶと言う選択肢を選んだのか?

そして、そもそもなぜ僕が事件を巻き起こすようなアクションを取ったのかということでした。

事の発端はとにかく、メイが他の男から言い寄られているのを見ていて我慢出来なくなったという、なんとも幼稚な物だったのですが。

元々我慢が足りない性格の上に、タイの暖かい気候の中で更に頭の中がとけていたのでしょう。

後先考えず外国で喧嘩なんかしたらひどい目に合うということを、それこそ身をもって体験したということです。

こうした話を全て終えると、メイは僕の話をなんとなくは分かってくれたようで、取りあえずは帰国までアパートに居られることとなりました。

やっと安心して寝られる場所を確保出来たということです。

 

けれども一方で、ママさんとメイの関係は予想以上に悪化していました。

と言うのも、ママさんは僕が彼女のアパートに帰って来てからも、メイあてに頻繁に電話をしてきて、僕の件での責任を問い詰めていたのです。

そしてしかも、この電話はメイの友達にまで来ていたんです。

こんな調子なので、もちろんメイはその日から仕事へ行くことを断念してしまいます。

無論、彼女の友達も一緒に休まざるを得ませんでした。

まさか僕が助けを呼ぶ相手を間違ったことにより、ここまでメイやその友人たちを苦しめてしまうことになろうとは・・・。

自分が事の発端となっていることも含めて、とても後悔させられることとなりました。

 

こうなれば、僕が再びママさんと直接話をしてなんとかしよう!

そう考えるのでしたが・・・無情にもその時点で、僕のバンコク滞在可能日数は残り1日のところまできていたのでした。

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シパタイ

このサイトは、2014年9月~2016年9月までのおよそ2年間に渡って、わたくし、シパタイが運営しておりました『タイで起業や就職をするも失敗続きな男のブログ』の続編ブログです。ちなみに、過去の自分史については多少加筆修正し、『自分史リターンズ』として再編集の上、当ブログにて掲載中です。それではみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

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