タイ自分史リターンズ

【自分史第20話】夢のバンコク滞在終了直前、突如タイ人彼女の態度が豹変する 

2018年4月8日

以下の記事は、2013年4月頃の回想録です。

 

日本への帰国直前、僕は自分で今回の責任を取るためにも、ママさんへ直談判することとしました。

自分が帰る前に、どうしてもメイの事を許してほしいという思いがあったのです。

バンコク滞在最終日、ソイ・カウボーイ近くのクイッティアオ屋台でママさんの姿を捕まえた僕は、さっそく話の内容を切り出します。

無論、僕がメイとバンコク滞在中ずっと一緒に住んでいたことは内緒にしておきましたが、それ以外は洗いざらい全て話しました。

そして、今回こういう騒ぎになった原因も、もとを正せば、自分がローカル向けのイサーン・タワンデーンというお店に入ってみたいと言ったのが始まりだったのだと釈明したのです。

 

これに対して、ママさんは・・・。

正直言ってかなりご立腹でしたね。

まずそもそも、なんでそこまでしてメイを庇うのか?!と。

そのこと自体が物凄く気に食わなかったようです。

そしてあの騒ぎの際に、誰があなた(僕)を助けてやったと思っているんだ!ってな感じで睨みつけられてしまいました。

挙句の果てには、メイがこれまでどんな客と関わってきただとか、身体の整形歴などに関して事細かに説明しだして、なんとか僕がメイに愛想を尽かすように仕向けてきたのです。

まあ、確かにメイは鼻も唇も目も顎も、というかほぼ全身、とにかく改造していないところはないってぐらいの人造人間だったのですが、僕はそれでも彼女の事が好きだったんです。

そういうことなんで、ママさんの言う事も全く頭に入ってきませんでした。

で、この後も、僕はなんとかメイが普通に働けるようにお願いしてみたものの話は平行線のまま。

結局、ママさんの意思としては、2度と自分の居る店内でメイを踊らせたくないってことだったのです。

まあ、いざとなったらメイも店を変えるとまで言っていましたが、ママさんもここまで頑固だったとは思いもしませんでしたね。

 

結局、ママさんとの話は一切まとまらないまま、僕はメイの下へと帰りました。

日本への帰国がまさにこの日だったため、あまり時間が無かったんですよね。

なんだか、日本へ帰る前に色々心の整理などもしたかったのですが、ふたを開けてみれば自分の巻き起こした騒動の後処理に走り回されてしまって、なんとも情けない帰国日当日となってしまったのです。

 

メイのアパートに戻ってきた僕は、ママさんとの話が決裂したことを伝え、精一杯謝りました。

彼女は、タイ人お決まりの「マイペンライ」で片づけてくれましたが、内心相当複雑だっただろうと思います。

正直言って、僕らの間には若干の溝が出来てしまったように感じました。

まさか、帰国日当日になってこんな状況になろうとは・・・。

 

そうこうしている間に、辺りはもうすっかり暗くなりだしていました。

僕の乗る飛行機はその日の深夜便だったため、ぼちぼち帰り支度をすることにします。

やっぱり、1ヵ月近くも同じアパートで暮らしていると、部屋にも愛着が湧いてくるんですよね。

初めて彼女のアパートに来た時は、床にあぐらをかきながらご飯を食べるスタイルだとか、部屋のベランダを空けたら向かいの人と目が合って毎日挨拶をするだとか、部屋のトイレがどうしようも無くボロいとか、とにかく日本の住居と比べたら考えられないような環境の中で、嫌気が差したことも幾度となくあったのですが。

それも全ていい思い出となっていました。

 

だからか、僕は彼女にこう申し出たんです。

出来れば、自分の衣類や備品の一部を部屋の中に置いておいて欲しいと。

それで、メイは渋々ではありましたが、僕の衣服をハンガーに掛け直して、クローゼットの中にしまい直してくれました。

(彼女の本心としては、帰ってくるかどうかわからない男の衣服を置いておくのは嫌だったのでしょうがね)

これで一応、荷物の整理は完了。

続いて、自分の持っている現金の残りを調べてみることにします。

そしたら、5,500バーツ程残っていました。

僕はそのうちの5,000バーツを彼女に手渡し、今までお世話になったから取っておいてと伝えました。

すると、彼女はそのお金をとても不満そうな表情をしながら受け取るんですよね。

 

これには理由があって・・・。

実は僕がホテルからアパートに移ってきたとき、彼女にこんな事を言っていたんです。

「メイはせっかく自分をアパートに住まわせてくれたのだから、今月分の家賃と光熱費は僕のほうで持つね!」っと。

で、その月の請求がつい数日前に来ていたのですが、なんと、6,000バーツを超えていたのでした。

僕は、家賃3,500バーツだと聞いていたので、てっきり5,000バーツもあれば余裕で足りるだろうと思っていたのですが、彼女が僕のために設置してくれたエアコンの利用のために、その月の電気代が異常に高くなっていたのが原因だったんです。

けれども、もうすでに自分にはこれ以上払う余裕はありませんでしたから。

メイには申し訳なかったのですが、これで勘弁してくれと、5,000バーツを押し付けておきました。

 

なんとかお金の問題も解決したところで、そろそろアパートを出るべき時間が近づいていました。

僕はメイと別れの言葉を交わします。

「日本に帰ったら、僕は仕事があるし、メイとはなかなか連絡を頻繁に取り合えないだろうけど、どうか元気でね」

「多分、半年後か1年後には、またタイにやってくるからその時まで待っていて欲しい」

こんなことを伝えました。

これに対してメイはというと・・・。

驚いたことに、かなり素っ気なかったんです。

「私は今まで通り、ゴーゴーバーで頑張るから、あなたも日本で仕事頑張ってね。お金が出来たときに、またタイに来てね!その時はまた一緒に過ごしましょう」

こんな感じの内容の事を言っていましたかね。

なんだか、こんなにドライな彼女を見たのは初めてでした。

今まであんなに自分の事をお世話してくれたり、気遣ってくれたりして、良い子だったのに・・・。

余りのショックに、日本に帰るのをやめようかとまで考えてしまいました。

多分、彼女としては、僕との恋もこれにて終了という思いが強かったのだろうと思います。

 

そりゃそうですよね。

彼女らの仕事っているのは、ある意味では毎日のように新たな出会いがあるわけで。

もしかしたら、僕とのことも単に日常生活の寂しさを紛らわせたかっただけのことなの?

そんな風にまで考えてしまいました。

きっと、彼女は明日からでも気持ちを切り替えて、新たな生活へと前進して行けるのだろう。

メイとの2か月がこんな形で消滅してしまうようでは、自分はいったい何のためにタイで2か月も過ごしてきたのかと・・・。

なんだか、今まさに別れの間際となったその瞬間に、とてつもなく哀しい気持ちになってしまいました。

 

そのあとの最後の別れの瞬間も、僕にとってはショッキングでしたね。

メイの見送りはとても素っ気なくて、なんとアパートの外にすら出てきてくれなかったんです。

部屋の中から、バイバイ~~みたいな感じで。

流石に僕はアパートの外に出てきてから、思いっきり泣き出してしまいました。

なんともまあ、大人げない光景でしたが。

そして、外からメイに電話したんです。

せめて、自分がタクシーを捕まえるまで、見送ってくれよと・・・。

で、メイは渋々、OKしてくれました。

大きな道路まで一緒に歩いていったんですが、僕らにはあまり会話もありませんでした。

 

そしてタクシーを捕まえ、車に乗り込み、いざ発信・・・。

後ろを振り返ってみると、やはりというか、彼女は既に家のある方向へ歩き出していたのでした。

僕の乗ったタクシーが見えなくなるまで、手を振ってくれていることを内心期待していたのですがね・・・。

こうして、スワンナプーム空港に着いた僕はさっそくメイにLINEをしてみます。

するとなんと、彼女は今から仕事へ行く準備をしていると言うではありませんか!

僕が旅立ったすぐ後で、よく仕事なんかに行けるな・・・。

ちょっとショック。

いや、それよりも、店にはママさんが居るけど、本当に大丈夫なの?!

日本帰国間際になって、こんな彼女の返信により早くも色々不安になってしまう自分でしたが・・・。

取りあえずはどうしようもないと言う事で、実家のある北海道へと深夜の便で帰っていくのでありました。

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シパタイ

このサイトは、2014年9月~2016年9月までのおよそ2年間に渡って、わたくし、シパタイが運営しておりました『タイで起業や就職をするも失敗続きな男のブログ』の続編ブログです。ちなみに、過去の自分史については多少加筆修正し、『自分史リターンズ』として再編集の上、当ブログにて掲載中です。それではみなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

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