以下の記事は、2013年2月頃の回想録です。
ひょんなことから日本人御用達ゴーゴーバー「バカラ」のママさん(チュリーママ)とパタヤ旅行へ行くことになった僕でしたが・・・
その前に、今回はママさんと知り合った経緯について改めて書いておきます。
というのも、その頃の日記を読み返していた所、前回ブログに書いた内容とはちょっと記憶が違っていたようでして。
で、何が違っていたかと言うと・・・
最初に出会ったのは僕が店に頻繁に通うようになったからではなく、ある人を介して紹介されていたようだったのです。笑
すみませんが、お付き合いください
当時、僕はマレーシアホテル周辺のゲストハウスから、ゴーゴー遊びをするためにわざわざ宿替えをすることにします。
それで、新たに滞在した先がスクンビット29にある「クラウンホテル」ってところでした。
このホテル、名前は立派ですが何のことはありません。
超オンボロな連れ込み宿です。
(アゴダとかにはもちろん載ってないローカルホテルです。)
当時で1泊720バーツ程と周辺のホテルに比べると若干安かったこともあり、ここへの宿泊を決めたのでありました。
実は大学時代に初ゴーゴーバーを体験した際もこちらを利用したのですがね。
(ちなみに学生時代に利用した際は、確か一泊650バーツぐらいでした。)
周辺相場から比べて安いとはいえ、部屋の設備はどれもこれも超が付くほど年季が入ってます。
逆にそういう暗くて陰気な雰囲気が好きな人には持って来いのホテルかもしれませんが。
ともあれ、この陰気な安宿に宿泊しながら、ゴーゴーバーの彼女と出会い、愛を育んでいくことになるのですが・・・
前回で書いた通り、メイと出会ってからというもの、昼はどこかの観光地に行くわけでもなくひたすら暗い部屋の中で空想に耽ったり、ホテル近所のコーヒー屋台でコーヒーを飲みながら、付近に屯しているタクシードライバー達と駄弁ったりして時間を潰すような毎日を繰り返していたんです。
で、そんな滞在を繰り返していたある日のこと
屋台飯を食べた後に、いつものコーヒー屋台でコーヒーを買って飲んでいたら一人のホームレスみたいなタイ人のおばちゃんがフラフラっと歩いて来て、急に話しかけてきたんですよね。
「兄ちゃん、喉乾いた~~」ってな感じで。笑
ここで普段だったら絶対、断固そういう物乞いみたいな人は無視する方針だった自分なんですが、 なぜかその時は自分自身の気分がよかったのか、そのおばちゃんを哀れに思ったのか、とにかく一杯のジュースを奢ってあげたんですよ。
この行動、改めて今自分で思い返してみても驚きです。
そうしたらそのおばちゃん、機嫌がよくなったのか「一緒にソムタムを食べよう!」って誘ってくるんです。
(ソムタムっていうのはパパイヤを使った、イサーン料理の代名詞的なサラダ料理のことです。)
嬉しいけれど正直、ソムタムまで奢れとはずうずうしいおばちゃんだなと思った僕は、もうお金が無いと断りました。
そしたらおばちゃん、自分で今からソムタムを用意して持ってくると言い出したので、それならばと、ソムタムの調達を待つことにしたんです。
そしたら、数十分後・・・
なんとそのおばちゃん、ソムタムの屋台を自ら引いてやってきたんですよね。
まさか、自前でキッチンまで用意してきたか~~!みたいな
呆気にとられていたら、コーヒー屋台の姉ちゃんが、あの人は普段ソムタムを売っているんだよって教えてくれたんです。
なるほど、自分のソムタムを食べさせてあげると、そういうことだったのかと・・・
でまあ、おばちゃんとソムタムを食べながら、暫し歓談することに・・・
とは言っても、おばちゃんこてこてのイサーン人のようで、会話がまともに成立しません。
おばちゃんの知っている英単語も僅かで、あとは僕が必至にタイ語の単語帳を駆使して会話を成立させました。
そうやって会話していると、なぜかおばちゃんがゴーゴーバーっていう単語とママさんっていう単語を連発していることに気付いたんですよ。
で、更に注意深く聞いていると、どうやら日本人御用達のバカラに勤めるゴーゴーバーのママさんが私の姉妹だって言っていると、なんとなく理解できたんです。
つまりそのお店っていうのは付き合い始めて間もないメイの働くお店でもあったわけですよ。
それで、更に聞いていると、どうやらそのママさんと僕を引き合わせたいと言っていることもわかりました。
僕としてはせっかくメイの働くバーでもあるし、そのお店のママさんとお近づきになれるのであれば言うことないと思いまして、是非そのソムタムおばちゃんのお誘いに甘える形でママさんを紹介して貰うことにしたんです。
ということで、いつものごとくその晩も暇を持て余していた自分は、ソムタムおばちゃんの案内の下、さっそくメイには内緒でバカラに向かったのでした。
とは言っても、その数日前から連続でお店には通っていたんですけどね。
で、お店に入ると間もなくして、噂のママさん登場!
多分、日本人にも有名なママさんなので知っている人も多いと思いますが、初めて会った時はその派手な出で立ちにちょっとビビってしまいました。
ちなみに、メイを初めてペイパーして以降、既に何度もお店には通っていたのですが、そのママさんの存在に気付いたのは、ソムタムおばちゃんの紹介があった時が初めてでした。
不思議なもんです。
よっぽど、店内で緊張しすぎて、周りが見えていなかったのでしょう。
とどのつまり 全ては「ソムタムおばちゃん」、彼女との出会いがママさんと僕が知り合ったきっかけとなったというわけなんですね。
ママさん本人は日本語が出来ないものの英語が達者なため、意思疎通は難なくこなすことができました。
(僕の英語は大したことないんですが、ママさんが僕のレベルに合わせてくれたため)
その後も数日間、毎晩店に通うようになって、ママさんともだいぶ話をするようになるのですが、そこでソムタムおばちゃんの正体も判明します。
どうやら、ソムタムおばちゃんはソイ・カウボーイ近くのセブンの前でソムタムを売って生計を立てていたのですが、色々な支払いが追い付かず、とうとうホームレスのようになってしまい、それを見兼ねてママさんが世話をするようになったのだそうです。
ゴーゴーバーの前にもよく売りに来ていたので、面識はずっと以前からあったらしいですね。
じゃあ具体的に何をお世話してあげていたのかと言えば、ママさんのコンドミニアムに住まわせてあげて、食事代なども面倒見ていたようでした。
僕がおばちゃんに出会った時も、一応商売は続けていたようですが、あまり上手くはいっていなかったようです。
よく、タイの人が血の繫がりが無い人を兄弟や姉妹だと言って一緒に暮らしたりしているのを見かけますが、こんな例もあったのかと驚かされましたね。
タイのタンブン精神の奥深さというかなんというか
だって普通、何の関係もない赤の他人を自分の家に上げたりなんて絶対できないですよ。
しかも、人気ゴーゴーバーのママさんっていうのは、ぶっちゃけかなりお金持ちです。
そんな人が路上生活ぎりぎりまで堕ちたおばちゃんの面倒を見るなんて・・・
もしかすると、ママさんは現在お金持ちであるとはいえ、出自が似た者同士であるという考えのもと、同朋の老人に手を差し伸べる精神で手助けをしたのかもしれませんね。
というのも、タイの階級社会において、水商売で成り上がったような人は世間からハイクラスなタイ人とは認められることはありません。
ぶっちゃけ、屋台商売の人よりも下に見られてます。
(タイでは職業に貴賤なんて大有りですからね。収入にかかわらず職業がその人の社会的地位を決める重要な要素になり得るのです)
変な話、昼間オフィスで働いている人達からしたら、金持ちママさんとは言え、差別されていると思います。
とは言っても真相はわかりません。
所詮、日本人に理解できないタイ人の事情なんて山ほどありますからね。
いずれにせよ、タイ人が困っている人間を簡単に見捨てるようなことはしないってのは事実だと思います。
仏教の教えとか、色々刷り込まれているのでしょう。
家族や友人との絆も日本人以上に大切にします。
と言う訳で、以上がゴーゴーバーのママさんとの詳しい出会いの経緯だったというわけです。
ちなみにソムタムおばちゃんとは、その後しばらくは一緒にカラオケやバーに行ったりして仲良く遊んでいたのですが、数か月後に体調を崩してしまい結局田舎に帰ってしまったんですよね。
60歳過ぎたようなおばちゃんだったのに、ほんとカラオケと踊りが大好きな人でした。
次回は、ママさんとのパタヤ旅行編に戻ります。
ほんと、人気ゴーゴーバーのママさんの凄さってやつを実感させられる旅でした。
ママさんが僕を誘った理由にも唖然とさせられましたが・・・