以下の記事は、2013年2月頃の回想録です。
さて、突如として「バカラ」のママさんからパタヤ旅行へと誘われたのでしたが ・・・
毎日これといって特段やることのなかった僕は、もちろん軽いノリでOKを出しました。
それで、早速いつ行くのかと問うたところ、ママさんからは明日行こうという答えが返ってきたんです。
しかし、誘いのあった日は深夜3時過ぎまでママさん達とお店で飲んでいたこともあり、
内心、流石に冗談だろうと思ってその時は軽く受け流して帰宅することとなりました。
で、翌日
この日はちょうど、メイが田舎へと短期で帰ることになっていたんです。
ママさんとのパタヤ旅行については、どうせ実現しないだろうと思い、メイには話していなかったんですよね。
メイの田舎はタイ北部のとある場所にあったのですが、3,4日はバンコクに帰って来れない予定とのことでした。
本当は、一緒に田舎へ行くかとも誘われたのですが、さすがに出会ったばかりということもあり、遠慮しちゃいましたね。
そういうことで、メイも居なくなり、いよいよすることの無くなってしまった自分。
メイと付き合いだしてから少々散財気味であったため、どこかに一人で観光へ行こうとも思わず、ホテルに引きこもろうとしていたのですが・・・
そんなところに、ママさんから突如として電話がかかってきました。
嬉しいような、面倒臭いような・・・
でも、メイも実家に帰っちゃったことだし、スクンビットのホテル代も浮くから行ってこようかなってことで、ママさんとの待ち合わせ場所へさっそく向かうことにしました。
ちなみに、パタヤでの滞在費等の何やかんやは、僕が金ありませんってことを事前に伝えていたのですが、ママさんからは「マイペンライ!」ってことだったんで鼻っから頼り切っておりました。笑
前日から口約束があったとは言え、急遽決まったパタヤ滞在。
パタヤは学生時代に数日滞在したことがありましたが、ほとんど記憶に残っていませんでした。
しかしなんと言っても、退職後のタイ滞在で初のビーチでしたからね。
否が応にも気分は高まります。
そんな僕はバックパックをまとめ上げ、スクンビットの安宿を一旦チェックアウトした後、さっそくママさんとの待ち合わせ先に向かうのでした。
ママさんとの待ち合わせ先に指定されたのは、プロンポンにある日本人御用達でお馴染みの高級デパート、「エンポリアム」。
エンポリアムを待ち合わせ場所に使う辺り、「結構通い慣れているのかなあ」と勘繰った自分。
その勘は間違っていませんでしたね。
暫くして、ママさんから電話を受けます。
気付いたら、目の前には黒塗りのホンダ・アコードが止まっているではありませんか。
窓を開けて、ママさんご登場
挨拶のあと、エンポリアムで昼食を食べてからパタヤへ向かおうということになります。
それにしても、ママさんの車を見る限り、やはり日本人御用達ゴーゴーバーの景気の良さというのを肌で感じずにはいられませんでした。
ママさんの働くゴーゴーバーには、雇われママさん(今回のママさんも雇われの一人)が全部で4人いたのですが、お店から正規で貰う給料だけでは、いくらなんでもここまでゴージャスにはなれないはずなのです。
けれども、ゴーゴーバーのママさんは、自分の抱える派閥内の女の子からのタンブンというか上納金みたいな副収入が凄くて、僕なんかの想像をはるかに超える副収入というか、店からの給料以外の収入を得ているようだったのです。
特にこのママさんは店に4人いる雇われママさんの中でも、最も女の子たちに幅を利かせているようでしたから。
女の子からのお金っていうのは・・・
例えば、ゴーゴーバーの女の子たちはお店で客や他の女の子達とトラブルになった際、自分の直属のグループのママさんの庇護が受けられるように、事あるごとに、お金をママさんに収めているんです。
これは別に強制されるものではないのですが、こういう普段の積み重ねが無いと、いざと言う時にママさんやお店からなんの助けも得られないので、女の子たちはみんなママさんに対して自主的にお金を収めているようです。
メイも毎月、なんだかんだ結構な額を自分のグループのママさんに渡していました。
ママさんたちも「要らない、要らないと!」と言葉では言いつつ、しっかり受け取りますからね。笑
まあ、夜の商売ですから色んなトラブルがあるんでしょうけど・・・
せっかく昼間の商売より稼げたとしても、こういうところで結局稼いだ金を食い潰しているんです。
ちなみに、「ホンダ・アコード」っていうのはタイ・ホンダ社におけるフラッグシップカーの位置づけです。
日本のアコードとタイのアコードでは関税とかの関係で全く価格が違うんですよね。
タイのアコードは車両本体価格でだいたい500万円ぐらいします。(グレードにもよりますが)
対するライバルの現地タイ・トヨタ社の最高級ミッドセダンは「カムリ」ですが同じことが言えると思います。
加えてですが、ママさん曰く、アコードはあくまでもセカンドカーであって、もう一台BMWを所有しているとのことでした。
恐れ入りました。
ママさんの運転するゴージャスな高級車を見てのっけから圧倒された僕でしたが・・
そこへきて更なる追い討ちが!
それは、エンポリアム内で軽めの昼食を終え、いよいよパタヤへ向かおうという時でした。
エンポリアム内を二人で歩いていると、高級デパートらしく、有名ブランドのテナントがズラッと並んでいたのですが ・・・
ママさん、ブランド物のバッグをサッと手に取って「これ、買う!」って急に言い出したんです。
そのバッグのお値段なんと・・・15万バーツ超え!
呆気にとられましたね。
そんな軽いノリで、ブランドバッグ買っちゃうの??って感じで。
まあ、後から聞いた話では、その頃だいぶ仕事のストレスが溜まっていて、衝動買いをすることが多かったそうなんですが。
ママさんの財力の凄さもさることながら、彼女の収入をここまで押し上げた日本人客はじめ、タイ人女性に投資する世界の男達の貢献度には驚かされましたね。
(僕も微力ながらゴーゴー嬢の彼女を通して、貢献させてもらったわけなのですが。)
多分、日本で水商売しても、きっとここまでの成功を手にする人間はかなり稀だと思います。
そういう意味では、ソイ・カウボーイでナンバー1のゴーゴーバーってのはそこで働く人間にとっても伊達じゃなかったんだと思い知らされましたね。
でまあ、そんなこんなでママさんのセレブっぷりに驚愕させられながら、ようやくパタヤへと出発!
するとまたしても、度胆を抜かれます。
スクンビット通り近辺にそびえ立つコンドミニアムを指さして、あそこが今の住まいだと言うではありませんか。
またまた、恐れ入りました。
あの赤いネオンが煌々と光る人気ゴーゴーバーを想像すれば、ママさんのこの景気の良さも納得ですわ 。
飛ぶ鳥を落とす勢いってまさにこのことなんですね、きっと。
ほんと、羨まし限りでした。
コンドミニアムのデカさに気を取られ過ぎてしまいましたが、アコードの車内もそれはそれは快適でしたね。
普段、タイのタクシーに使用されているトヨタのカローラ・アルティスや観光バスに乗り慣れていた自分にとってはまさに天国でしたよ。
おかげでパタヤまでの道はあっという間でした。
途中、パタヤの市街地近くのシーフード・レストランで激ウマシーフードを頂きました。
もう、パタヤに来ていきなりシーフードなんて、既に大満足でしたね。
お店の名前は英語で書くと「Mum Aroi」と言って、タイ人に人気のシーフード店でした。
ママさん行きつけとのことです。
ここのレストランは割と高めなお値段だったような記憶があります。
とは言っても、シーフードですから、当然といえば当然かもしれませんが。
ママさん、パタヤには数えきれないほど来ているようで、パタヤ周辺のレストランなどにはだいぶ詳しいようでしたね。
僕とパタヤに来た時は、少し仕事もあるのだと言ってたんですよ。
まあ、その仕事の内容ってのはあとで判明するのですが。
エンポリアムで昼食食べて、パタヤでもシーフード。
お腹いっぱい。
2度目の昼食後、ママさんがパタヤにて1泊分ホテルを予約してくれていたようで、シーフードを思う存分堪能した僕らはさっそく、ホテルへ向かいチェックイン。
確かホテルは、パタヤのジョムティエン・ビーチ方面にあったと思うのですが、名前は忘れてしまいました。
ただ、1泊5,000バーツぐらいしていたので、結構ゴージャスなホテルでしたね。
ホテルのチェックイン後、部屋を確認しに向かい・・・扉を開ける・・・
そこで、思わぬ事態に遭遇!
なんと、部屋にはキングサイズのベッドが一つ、ドーンとそびえ立っていたのです!
さすがに相手が金持ちママさんとはいえ、一緒に寝る事は出来ようはずもなく・・・
ってな押し問答をしていたら、流石にママさんも観念したのか、急遽2ベッドルームの部屋にチェンジしてくれることになりました。
今考えるとこの時すでに、ママさんの思惑が透けて見えていたのですがね・・・
鈍感な自分はこの時、まだ全然気づいていませんでした。
その後、夜はどうしようかということになったのですが、そこはもちろん、ウォーキング・ストリートに繰り出そうってことになり、 (なんだか、ママさんはウォーキング・ストリートにちょっとした用事もあったようで・・・)夜の行先決定後、取りあえず暗くなるまで休憩をすることにしました。
何しろ、前夜もお互い3時ぐらいまでお店で飲んでましたからね。
(その頃はメイの帰りも毎晩3時過ぎだったので、深夜はいつも暇していたんです。ちなみに、当時僕がバカラに顔を出していたのはいつも深夜からだったので、お店でメイと顔を合わせることはほとんどありませんでしたね。はじめの頃はメイの居る時間帯にも行っていたのですが、メイから仕事が遣りづらいというクレームが来て、自粛することにしたんです。まあ、僕自身もメイが他の客といる所を見たくないっていう気持ちが日増しに強くなっていたためもあり、行かなくなったんですが。)
こうして、夜まで各々休憩を取った後・・
ママさんと僕はお楽しみの夜の街、ウォーキング・ストリートへと出かけていくのでありました。